万葉集の世界-雪野寺跡

 近江八幡市、東近江市、竜王町にまたがる雪野山は、その頂上付近に古墳時代前期の未盗掘の石室が発見された雪野山古墳が存在することで有名です。その雪野山の南西麓にあるのが古代寺院、雪野寺跡です。現在、この地には安吉山龍王寺という天台宗の寺院が建っています。
 雪野寺跡は昭和の初めと昭和終わりから平成初めにかけて、2度発掘調査が行われ、一辺13.6mの乱石積基壇を持つ塔跡とみられる遺構、その北西からは講堂跡とみられる建物跡、さらにもう1棟建物跡が見つかっています。金堂跡は確認されていませんが、西に金堂、東に塔を並べ、背後に講堂を置く法起寺式伽藍配置の寺院であったと考えられています。出土した瓦をはじめとする遺物より白鳳期に創建され、奈良時代に隆盛したようです。
 雪野寺跡が造営された地は、古代では蒲生郡安吉郷に属していました。安吉郷の範囲にはこの雪野寺跡とともに同じく白鳳寺院の倉橋部廃寺が存在しており、両寺とも渡来系氏族安吉勝(あぎのすぐり)氏との関連が注目されています。なお、これら白鳳寺院が建立された頃、近江国蒲生郡阿伎里の人として阿□(伎カ)勝足石という人物がいたことが平城京跡から出土した藤原京期の木簡より知られますが、この人物は安吉勝氏の一員であったと考えられます。

雪野寺跡塔礎石

 おすすめポイント

  雪野寺跡を有名にしたのは、なんといっても多くの塑像が出土したことです。塑像とは、土で作った彫像で奈良時代に日本に伝来しました。東大寺三月堂の執金剛神や同寺戒壇院の四天王像が有名ですが、群像としては法隆寺五重塔の塑像群が最も有名で最古の作例となります。雪野寺跡からは、菩薩、神王、童子、女人などの塑像が出土していて、中には等身大のものも見つかっています。これらの塑像をはじめとする出土遺物の多くは、現在京都大学総合博物館に保管されていますが、瓦や土器の一部、塑像のレプリカなどが隣接する「妹背の里」内の資料館に展示しています。

周辺のおすすめ情報

 『日本書紀』に天智天皇が蒲生野で遊猟したことが2度記されています。天智天皇7年5月と同9年2月のことです。このうち、最初の遊猟については『万葉集』巻1に載せられた大海人皇子(おおあまのおうじ)と額田王(ぬかたのおおきみ)が交わした歌によってよく知られています。 

◆天皇、蒲生野に遊猟したまう時、額田王の作る歌
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

◆皇太子の答えましし御歌
紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも  

アクセス

 【公共交通機関】 近江八幡駅より近江鉄道バス「竜王ダイハツ前」行き「川守」下車徒歩10分
【自家用車】名神高速道路蒲生SI下車10分   

  公益財団法人滋賀県文化財保護協会提供