琵琶湖の聖なる島-沖島-

所在地:近江八幡市沖島町

 沖島は、琵琶湖に浮かぶ周囲約12㎞の島で、住所は近江八幡市沖島町なります。琵琶湖で唯一、人が定住している島として知られていますが、実は、淡水の湖で人が暮らしている島というのは、世界的に見ても大変珍しいことなのです。現在、戸数約150戸、400人程の人が暮らしています。 島の言い伝えでは、住民の祖先は源満仲の家臣が都から逃れてきた、いわゆる「源氏の落ち武者」と伝えられています。平家の落ち武者の話は良く聞きますが、沖島は源氏の落ち武者が祖先なのです。

おすすめポイント

 さて、本題です。写真は、島の神社の扁額です。「瀛津島神社」と書いています。読めますか?「瀛」とは「えい」とか「よう」と読みます。意味は「大海原」「池の中の聖なる場所」といった意味があります。そして、まれに「おき」と読む場合もあるようです。つまり、この扁額の神社名は「おきつしま(=沖津島)」と書かれているのです。この扁額は、明治の護憲家として知られる尾崎行雄の揮毫になるものです。


 この奥津島神社に祀られているのは「多紀里比売命(たぎりひめのみこと)」という女神です。この神様は、素戔鳴命(すさのをのみこと)の剱から産まれた三柱の神の一柱です。この女神達は九州と大陸を結ぶ航路を護る宗像三女神として有名です。とりわけ、玄界灘に浮かぶ孤島、沖の島は三女神の一柱、田心比売命(たごりひめのみこと)を祀る島で、古代から国家の大切な祭祀の場となっていました。沖の島の発掘調査により、神様への豪華な奉賽品が多数出土したことから、「海の正倉院」とも呼ばれるようになったことはよく知られています。
 さて、瀛津島神社の対岸に奥島山そびえていますが、この山はかつて、大中の湖と琵琶湖の間に浮かぶ島でした。そしてこの麓には「大島奥島神社」が鎮座しています。この神社の祭神は奥津比売命(おくつひめのみこと)で、実は、この女神は、奥津島神社に祀られる多紀里比売命、玄界灘沖の島に祀られる田心比売命と同神なのです。「奥島神社」「瀛(沖)津島神社」そして玄界灘の「沖の島」と、このよく似た名前の聖地に、同じ神様が祀られているのは偶然でしょうか?

瀛津島神社


 もう一つ興味深いことがあります。沖島の北側には、厳島神社が祀られています。この神社の祭神は「市寸島比売(いちきしまひめのみこと)」で、この神様も宗像三女神の一柱です。この小さな島に、大海原の航路を護る女神が二柱も鎮座しているのです。
 これらのことは、玄界灘が古代の国家にとって、大切な航路であったと同じように、琵琶湖の航路も大切な航路として、認識されていたためだと考えられます。瀛津島神社を勧請したのは、奈良時代の公卿である「藤原不比等」と伝えられています。奈良時代のビックネームが関わっているところに、古代国家の意思を感じます。ちなみに、藤原不比等は死後「淡海(おうみ)公」の名前を送られています。
 沖島を「うみ」の世界を護る聖なる島であると考えると、尾崎行雄があえて「瀛」の文字を書いた意味も理解できます。

 みどころポイント 

沖島は、小さな島ですが立派な小学校が建っています。残念ながら生徒数は徐々に減少し、10人を割ってしまいました。しかし、反対に、近年対岸の近江八幡などから、島の環境にあこがれて船で通学する生徒さんも出てくるようになりました。
 この小学校は、全国的にも(少なくとも県内では唯一)珍しい施設?を持っています。それは、沖島小学校専用のビーチです。沖島は全島がほぼ岩石でできている島で、水泳に適した浜はあまりありません。小学校の北約500mの所に木々に隠れるように小さな砂浜があります。ここが沖島小学校のビーチです。ここは、奥島山、水茎岡山を、そして遠くに三上山を望む絶景のポイントでもあります。
 ここで遊ぶ生徒達。うらやましいの一言です。
 沖島漁港に隣接して、島の奥様達が経営する直売所があります。島の漁師さんが捕った魚の加工品を中心に様々な物を売っていますが、ここでのお勧めは「ハスゴのメズシ」です。あまり耳慣れない食べ物ですが、フナズシの親戚みたいな食べ物です。塩漬けしたハスの稚魚をご飯に漬けたナレズシの仲間ですが、発酵させる期間が短いため、ナズシよりはくせが少なく、大変食べやすいスシです。ナレズシの入門編にお勧めです。

アクセス

【公共交通機関】JR近江八幡駅から長命寺経由休暇村行乗車、堀切港下車、沖島通船で沖島漁港
【自家用車】堀切港(駐車場あり)から沖島通船に乗船

 公益財団法人滋賀県文化財保護協会提供